中山道(1)
下諏訪宿から塩尻宿へ
塩尻峠(地図)
現在の塩尻峠の頂上。 右手木々の向こうの諏訪側は急な下り坂 | 江戸初期の中山道は、下諏訪から三沢を経て小野峠小野盆地に入り牛首峠を越え桜沢に抜ける小野街道を利用していたが、15年ほどで塩尻峠越えの道に変更された。塩尻峠には、一里余り人家がなく、参勤交代も難渋したので、諏訪側の今井村と塩尻側の柿沢村とに御小休所(茶屋本陣)が置かれた。峠から諏訪方面は、中山道有数の絶景で、渓斎英泉は「木曽街道六十九次」にここからの眺めを描いている。また、この一帯は、明治天皇御巡幸に因んで「塩嶺御野立公園」と呼ばれ、記念碑が建てられている。辺りはシラカバやレンゲツツジが美しく、バードウォッチングの名所としても有名で探鳥会も催されている。
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島木赤彦の塩尻峠
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茶屋本陣家屋 |
高ボッチ高原(地図)
高ボッチ高原牧場 | 高ボッチ高原のほとんどが、草原(ススキ)である。まだススキが目立たない夏には、ハクサンフウロ・コバギボウシ、マツムシソウなどなじみのある草本が目立つ。また、これらの花に集まる昆虫の数も多く、ヨツバヒヨドリにアサギマダラ・マツムシソウにクジャクチョウ・ノアザミにはヒョウモンチョウの仲間といった取り合わせが、高原情緒をいっそう引き立て風情がある。このような景観は、かつて、ここ一帯が採草地や放牧地だったことと深い関係がある。
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東山一里塚(地図)
東山一里塚には1基だけ塚が残っている。東山のこの一帯は、旧中山道の塩尻峠をはじめ、茶屋本陣や立場茶屋跡、犬飼清水の伝説等、旧中山道の面影が偲ばれるところとなっている。 *一里塚 |
東山一里塚 |
永井坂の首塚・胴塚(地図)
永井坂の首塚・胴塚 | 南北朝時代には、塩尻峠をはさんでしばしば合戦があった。戦国時代の最も大きなものは武田晴信(信玄)と小笠原長時との塩尻峠の戦いである。天文17年2月武田晴信が小県郡上田原で村上義清に敗れると、信濃の武将たちは小笠原長時を中心として5000の兵で下諏訪に攻め入った。長時は7月19日、塩尻峠・勝弦峠一帯に大合戦をし、初めは優勢であったが味方の裏切りにより1000余人の死者を出して大敗してしまった。
歌碑 野に山に討死なせし益良男の あとなつかしき柿沢の畔 |
永福寺(地図)
諏訪の大工棟梁立川和四郎は、近世の名工「立川流和四郎」の名によって知られ、幕府から内匠の称号を受けており、名作として名高い、国宝京都御所・諏訪大社・三州豊川稲荷・駿州浅間神社などがある。 |
永福寺 |
小坂田公園(地図)
道の駅小坂田のある小坂田公園一帯 | 小坂田公園は、大正3年に塩尻消防組の創立20周年を機に公園化された。当時の記録に、「3月より組員総出にて起工。庭園を設け、車道を通じ、荊棘を伐して茶亭を築き、梅桜を植え、遊船を浮かべ運動具を備え以て衆人の歓楽に供した。1000円近い費用は、いずれも村内有志の寄付に依ったもので、その4月20日開園式を挙げた。」とある。
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塩尻宿(地図)
塩尻宿の歴史は古く、武田信玄の時代以前にさかのぼる。その当時の宿は、五千石街道沿いの今の古町辺りにあった。江戸時代、五街道の1つ、中山道が制定された当初は牛首峠を越える小野街道が採用され、小野から木曽の桜沢に連絡されたので、塩尻宿はもとのままだった。やがて塩尻経由に改められるにともないもとの宿も移され新しい塩尻宿がつくられた。 |
塩尻宿本陣・脇本陣跡 |
小野家 【重文】(地図)
小野家 | 小野家は、塩尻宿の旧本陣の斜め向かいにあった旅籠で、「いてふや」と呼ばれていた。街道筋にみられる商人や職人の民家は、町家と呼ばれ、隣家との間隔が狭く(ときには互いに壁を接するように)建てられていた。塩尻宿は明治15年に大火にあったが、小野家は西隣りの武居家とともにかろうじて残った。建物は天保2年に建てられ建築様式は切妻造平入で、2階建桟瓦葺。2階には5室の客室があり、その室内装飾は幕末期の大都市で流行したものであり、当時の宿場の雰囲気をしのばせるものとして貴重なものとされている。 |
阿禮神社(地図)
阿禮神社は塩尻宿の「鉤の手」の脇にあり、「延喜式」神名帳にものっている古い神社である。もとは東山の五百渡岩付近にあって、後に柿沢の明神平に移され、塩尻宿ができてから八幡社境内に移され、現在に至っている。 |
阿禮神社 |
堀内家 【重文】(地図)
堀内家 | 堀内家は、江戸時代堀ノ内村の名主である。この建物は19世紀初期(文化年間)に、下西条村から移築したものと伝えられている。建築様式は本棟造で切妻造妻入。板葺で勾配の緩い大屋根と庇棟飾りに特色がある民家形式の一つである。もとの建物は、18世紀後期(宝暦〜天明年間)のものらしいが、いくたびか改造されたため、当初の姿が不明なところも多い。しかし、この本棟造の外観は、2段重ねの破風、棟飾りの「雀おどり」、妻の壁部分の出格子窓等、美観を意図した意匠で高く評価されている。 |
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